砂の棺 白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。 傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。 この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、 彼らは運命に翻弄されゆく。 |
ミナゴロシ 1 スラムにある教会の正面入り口に、俺はいた。いや、カルザスがいるのだ。 俺はまた夢を見ていたのだ。あの憎悪と殺戮、血に塗《まみ》れたおぞましい夢を。 ──カルザス……俺は何者なのだろう? 明確な答えなど望んではおらん。だが、問わずにはおれなんだのだ。 俺は何者なのだ? 俺はどうしてエルスラディアやシーアの過去の夢を見るのだ? 運命は俺に何をさせようとしているのだ? 俺は、俺は、俺は……一体……。 「……どうしたんですか、急に? あなたの正体は僕にだって分かりませんよ。それを一緒に探しているんじゃないですか」 あ、ああ、そうだったな。俺はカルザスと共に、俺の過去と実体を探して……ウラウローを旅してきたのだ。俺は一人ではない。一人……では……。 教会の入り口のノッカーに手を掛けようとして、カルザスはふと、近付いてくる足音に気付いた。ずるずると足を引き摺るような、重く辛そうな足音。 「……シーアさんですか?」 白いローブが見えた。だがふらふらとして酷く足取りが重い。だらりと下げた腕から、ぽたぽたと何かが滴っておる。……血? もしや怪我でもしているのだろうか? 「シーアさん、お怪我でもなさ……っ!」 カルザスは口を押さえ、息を呑んだ。 シーアは全身血塗れだったのだ。白いローブは鮮血で染まり、銀色の髪も、白い肌も、何もかもが赤い血で汚れておる。手の先からはいまだ固まっておらん血が滴っていたのだ。 「どうなさったんですかっ? お怪我でもされたんですか?」 カルザスが駆け寄ると、シーアは素早く腕を払った。とっさに身を引いたカルザス。その行動は正解だった。 シーアは手に、抜き身の短剣を持っておったのだ。身を引かなければ顔を切り裂かれておった。 「僕ですよ。カルザスです。しっかりしてください」 「……カルザス……さん?」 澱んだ目でカルザスの姿を捉え、シーアは小さく息を吐き出す。奴の視線は揺れていて、真っ直ぐにカルザスを捉えられていない。ひどく動揺しておるようだ。 「ここは人目に付きます。ひとまずこちらへ」 教会の脇の小道にシーアを引き入れ、干してあるのか、横倒しにされた瓶《かめ》の上に座らせる。カルザスは短剣を持ったままのシーアの手に自分の手を重ねながら、静かに問い掛けた。 「……誰を……殺しました?」 カルザスの問いに、シーアはゆるゆるとした眼差しでこちらを見つめる。狂気に彩られてはおらんが、自我を見失っておった。 シーアが誰かを殺してきたという事は、この姿から容易に察しできる。だが、それが誰なのかは直接聞いてみん事には分からん。 「……誰か……なんて分からない。いっぱい……たくさん……全部……おれ一人で……だから……」 血の付いた唇で、支離滅裂な事を不明瞭な声で呟く。 「たくさんって……全部っていうのはどういう事ですか? まさか追っ手の方々と交えたのですか?」 シーアは緩慢な動作で首を振り、抜き身のままの短剣を見つめる。血染めの短剣。過去に幾人もの血を啜ってきたものだ。 「……カルザスさんは……おれを護ってくれるって言った。でも、護ってくれなかった」 「何を仰っているんですか。僕はあなたの……」 カルザスが否定しようとすると、シーアの瞳に光が戻った。その視線がカルザスを射抜く。 「……じゃあ聞くけど、おれに何を隠してる?」 強い眼差しで見つめられ、カルザスは口篭もる。どうやらシーアは完全に放心しておる訳ではないらしい。しかしこの状態で話になるものかどうか……。 「僕は別に何も隠してなんかいません」 「嘘吐き」 シーアが顔を背け、血で汚れた自らの体を抱き締める。そうしなければ暴れ出してしまうといった様子だ。そうなってしまう事を必死に堪えているのだろうか。 「シーアさん。落ち着いて話し合いましょう。僕はあなたに隠し事なんてしてません。僕はあなたの味方で……」 「孤児院の事、おれに隠してただろ」 むっ……ホセの事、シーアは知ってしまったのか? だがカルザスがホセに会ったのはシーアとはぐれた後で、ニュートの時も、疑わしい素振りなど奴の前で一切しておらんはずだ。 「……シーアを拾ってくれた先生が……シーアを見捨てて自分だけ生き延びたんだ。その事、あんたは知ってて教えてくれなかった」 シーアは短剣の血を自らのローブの裾で拭い、鞘に収めて、それを両手で握り締める。 「あんたの様子がおかしかったから……尾行したんだよ、さっき。酒場であんたを置いていったのはあんたを尾行するためさ。そしたらあんたは……先生に会ってシーアの事を聞いた。先生に会わなくても、孤児院まで行っただろ? 昨日だって孤児院に行ったんだからさ。でも……あんたはそれをおれに教えてくれなかった。おれに事実を隠した。嘘を吐いた」 「そ、それは事実を知れば、あなたが刃を手にすると思ったからです。事実、そうやって血塗れに……は! シ、シーアさんっ! もしかしてホセ先生を殺したんですかっ?」 「ああ」 襟に指を引っ掛けて緩め、シーアは気だるそうに壁に寄り掛かかり、足を組む。荒んだ心を隠そうともせず、何事かを考え込んでいる。 こやつはカルザスを尾行しておったのか。ホセの吐露を、シーアもどこかで隠れて聞いておったのだな。気配など感じなかった。シーアの存在に気付いていたならば、ホセに語らせはしなかったというのに……。 所詮傭兵ごとき、隠密行動に秀でた暗殺者には敵わぬという事か。 「おれからシーアを奪った奴は一人残らず殺す。シーアのためだったら、何人いても、誰であろうと殺してやる。シーアは生きるべき人だった。そんなシーアを殺した報いだ。死を持って償うのは当たり前だろ」 「あなたにもう人を殺《あや》めてほしくないんですよ! だから黙っていたんです。なのにあなたは……」 「おれがずっと知らないでいれば、あんたがおれの代わりに先生を殺してくれたのか?」 シーアがギロリとカルザスを睨む。 「しませんよ、そんな事。人殺しは傭兵の仕事じゃありません。ホセ先生はすでに充分反省なさっています。苦しんでいらっしゃったんです。生きている事が、あの方にとっては罪の償いだったんです」 「シーアを悪魔の子だと蔑みながら反省だって? ハッ、笑わせるな」 鋭い眼差しで、カルザスを睨め上げるシーア。 「あんたの言う、おれを護る事っていうのは、他の全てを許して、おれだけが苦しめって事なのか? 狂暴なおれだけを隔離して、シーアを踏みにじったクズ共全ての味方をするって事なのか? ははっ……そうか。おれを護るってのは、おれを監視するって意味か!」 黙っていると、シーアが目を細め、ふっと苦笑した。 「……やっぱり……他人なんて誰も信用できないね。おれは……一人で生きていく」 そう投げやりに吐き捨てたシーアに対し、カルザスは無言で奴を見つめている。 無言である事を不審に思ったのか、ふと、訝しげに顔を上げたシーアの頬を、カルザスは強く殴りつけた。そのまま奴の肩と腕を掴んで教会の壁へと押し付ける。 「あなたはやはり、弱いですね。弱いというか、甘えて自棄を起こす事しか知らない。癇癪持ちの子供と同じです」 かぁっとシーアが頬を染め、唇を噛む。 「僕だってね、誰かを殺したいと思うほど憎む事、あるんですよ。僕もホセ先生の事、殺したいほど憎いと思いました」 シーアの肩を掴む手に力を込める。 「でも殺さなかったのは、僕は弱くないから。決して強くなんかないですよ。でも、弱くないんです」 シーアは無言のまま、カルザスを見上げている。その表情から、怒りや自暴自棄などは感じられん。しかし何か言いたげに睫毛を震わせ、堪えている。 「暗殺者である事、セムさんのために辞めるんじゃなかったんですか? なのにセムさんのためにって大義名分を掲げて誰かを殺める事は、言っている事と矛盾してます。セムさんがこの事を知れば、きっと悲しみます。憤りますよ、間違いなく」 「けどっ……けど、シーアは生きるべき人だった!」 「セムさんを死へ追いやった方々が憎いという気持ちは分かります。でも、だからといって、その方々と同じ事をするというのは、あなたも彼らと同類って事です。セムさんの死を冒涜しているんです。あなたは以前、セムさんを助けられなかった自分がセムさんを殺したのと同じだって、自分を責めていましたけど、まさにその通りですね。僕、あなたの事、もう少し強い方じゃないかと過大評価していたようです。あなたはただの……人殺しです」 シーアが息を詰まらせ、顔を背ける。喉を詰まらせたように、肩で息をして、ぐっと胸元を掴んでいる。 「あなたは逃げる事しかしない。セムさんを盾にして、逃げてばかりいる」 「お、おれはシーアを護ってやれなかった。だからシーアを殺した奴を、シーアの代わりに……」 「それが逃げだって言ってるんですよ!」 カルザスは強くシーアの肩を揺さぶり、顎を引っぱり、自分の方へと強引に奴の顔をこちらへ向かせる。 「許せなんて言いません。むしろ一生許すなって言いたいですね。一生罪の意識に苛まれるって事が、最もその方を懲らしめる復讐なんです。憎むのは大いに結構だと思いますよ。憎んで恨んでやればいいんです。でも手を挙げるのは負けです。手を挙げれば、自分も彼らと同類になるんです。僕は同類にはなりたくないから、何もせずにホセ先生を放り出してきたんです」 人を諭せるほど、カルザスは徳の高い人間ではない。俺はそう思っていた。だが、カルザスはシーアを諭しておる。ただ事実を述べておるだけだが、それが壊れかけたシーアに対して最も効果的な説得なのだ。 正論に歯向かう事など、今のシーアにはできまい。 「……おれ……許せなかったんだ」 「だから、僕は絶対に許すなって言ってるじゃないですか。あなたはセムさんが守ってくれたその命を、セムさんが命懸けで守ったものを、自暴自棄で無下になさるおつもりなんですか!」 カルザスの悲痛な叫びに、シーアがびくりと体を震わせる。 「お……れ……許せなくて……」 「許さなくていいんです」 「憎く……て……」 「憎めばいいんです」 シーアは涙ぐんだ目でカルザスを見上げ、掠れた声を絞り出す。 「……先生がした事、許せなくて、憎くて……自分が分かんなくなって……みんな……殺し、た……」 「……みんな、というと……ホセ先生以外の方を?」 「先生と……孤児院にいた……全員……」 たくさん、全部、とは、孤児院の者全員と言う意味だったのか! ホセだけではなく、ニュートや孤児たちをも、この者は……っ! 「何の罪もない子供たちもですかっ?」 カルザスが声をあげると、シーアはびくっと体を震わせ、小さく頷き、涙を零す。がくがくと体が震え始め、シーアは震える手で自らの頬を押さえる。 「おれ……自分が、分かんなくなって……」 「様子を見てきます!」 「や、やだよ! 離れちゃイヤだ! おれ一人じゃ怖いよ! おれ……おれは……カルザスさん!」 子供のようにぎゅっとカルザスにしがみ付いてくるシーア。だがカルザスは奴を乱暴に振り解いた。 「都合のいい時だけ僕に縋るのはやめてください! いいですか。あなたは身支度を整えて、ここで静かに待っていてください。教会の中にいてもいいです。僕が戻ってくるまでにちゃんと準備できていなかったら、僕は本気であなたを見限りますよ」 強く言い、カルザスは小道を飛び出した。 ──おい、カルザス。あんな事を言って、奴がまた心を閉ざしてしまったらどうする気なのだ? 「ぶん殴ってやってから見限ります。いつまでも甘やかしていては、あの人はますますダメになりますから」 ……ふっ……もう完全に保護者だな。 しかしシーアめ……ホセだけならまだしも、孤児たちにまで手を挙げるとは。とても正気の沙汰とは思えん……。 |
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