死神ロンド ふと気がつくと、私は顔の上に漫画雑誌を落として、ベッドに横たわったまま死んでいた。 どうやら今、幽体離脱をしているらしい。 そこへ登場したのが死神を名乗るイケメン。 生死を争う、私と死神との追いかけっこが始まった。 |
女も三十五となれば、家族はまるで腫れ物に触るように接してくる。つまり「とっとと結婚しろ」という無言の圧力と、「こいつ結婚できないんじゃないか」という不安な親心の板挟み。 さらに彼氏も気になる相手もいないとなれば、さらに双方の焦燥感という警笛は鳴りっぱなしだ。すこぶる居心地が悪い、バツが悪い。ちょっと申し訳ない。心配してくれるのは嬉しいけど、ありがた迷惑の、いいお節介だよ。 趣味が漫画読書と預金通帳の残高確認というだけでも我ながらわびしい事この上ない。もっと出会いの輪が広がるような、明るく社交的な趣味はないのか、私は。 いや一応のところ、料理洗濯掃除はできる。家事で世の男どものハートを掴めないものだろうか? しかし、できると言っても自分の活動範囲内でだけども。うわ、ダメじゃん! 通帳記入のために銀行まで歩くのはウォーキングと言えないのか? 会社に遅刻しそうな時、バス停までダッシュするのは瞬発力を鍛えるトレーニングと言えないのか? 言えないよ! 分かってるよ! 社交性もない、運動嫌い、趣味が内向的、家事は自分が困らない程度とくれば、そりゃどんなに心が広いお釈迦様だって振り向いてくれはしない。分かってる、分かってるってば。 しかしこれが私なんだから、現状を嘆いても仕方ない。すぐには変われないんだから、こんな私でもいいという男を掴まえなきゃならない。恐ろしくハードルが高く、しかも攻略が難しい山脈にチャレンジだというのは充分、分かっている。だけど挑まなくちゃならないんだ。……その内。 今はただぼけーっと漫画を読んでいたい。婚活? そんなもの面倒だ。まだ望みは捨てなくても大丈夫でしょ。 あーあ、永遠に遊んでいたい。自堕落に過ごしたい。 グダグダな毎日を過ごしていたある日、私は自室のベッドに転がりながら、あいも変わらず漫画雑誌を読んでいた。だけど様子が変だ。漫画雑誌を読む私を見下ろす私がいる。 そしてそれに気づいた時、手にしていた漫画雑誌はバサリと顔の上に落ちた。痛みも感じない。 その光景を私が上から眺めていた。 ほうほう、なるほど。どうやら私は現在、幽体離脱という状況に置かれているらしい。もしや寝ながら舐めてた飴が転がり込んだ先が悪かったのか? つまり喉に詰まっているのかもしれない。 冷静に状況を分析している分、私はまだ冷静だ。 しかしあっさり死んでやる気は毛頭ないので、このまま体に戻ってやろうと躍起になっていた。 ところがどっこい、簡単に体には戻れず私はどうすれば生き返るのか、なんやかんやと頭をひねる。水泳の要領で飛び込んでみたり、添い寝してみたり、変顔を作ってみたり。いやいや変顔は明らかに無意味だろう。思いつく限りの方法を試してみたけど、私という思念体は体に戻れない。 このまま戻らなかったら本当に死んでしまうんだろうか? 不安から、軽くゾクリとした時だった。 「こんちはー」 窓をカラリと開けて、見知らぬ誰かが入ってきた。あら、意外とイケメン。だけど格好がイマイチ。 スーツに、長い黒マントなんか羽織っちゃてる。そして手には奇妙な草刈り鎌。何かのコスプレですか? ハロウィンはもうとっくに終わりましたけど? 「ちはー、死神連合から派遣されてきた死神ですー」 奴は勝手に名乗ったが、私は名前なんぞ聞いていない。死神だって? 私は露骨に訝しい顔をする。 死んでやる気は毛頭ないと前述したように、死神だなんて縁起でもない。さっさとこいつを放り出そう。 「死神は間に合ってます。えい!」 私は問答無用に死神と名乗ったイケメンを窓から突き落とす。死神が窓から落ちて死ぬことなんてありえないだろう。もしこれが、ただのコスプレした人だったらマズいかもしれないけど。 二階から落ちたくらいじゃ、きっと死なないと思う。庭に植え込みだってあるし。 「うひゃー!」 死神は情けない声をあげながら窓の外に落ちる。だけどプカリと浮いて頭を掻いた。 「わあ! 死神殺し! 落ちたら危ないじゃないですかー」 呑気な声を上げながら、死神は空中にプカプカ。 「浮いてるじゃない! 落ちてないじゃない!」 思わず私は全力でツッコミを入れる。 「とにかく入れてください。あなたに用事があって、わざわざやってきたんですから」 「私はあんたに用事はないから帰れ! 死神退散!」 「まぁまぁ、話を聞くだけでも。あ、お茶とかいりませんし」 ゴマを摺るように手を擦る死神。低姿勢でお願いをしてくる。そうやって下手でお願いされちゃ、断るにも断れない。我ながら甘い事だ。 「うーん……話だけなら」 イケメンには弱い私であった。 死神を部屋に淹れて、お互い向き合って座る。漫画雑誌を顔に落としたまま、寝ている私の本体がすぐ隣にあるっているのも変な感じだけど。 「あなたついさっき、飴を喉に詰まらせて死んじゃったんですよ。だから魂を引き取りに来ました」 やっぱりあの飴か! 寝ながら飴なんか舐めなきゃよかった。だけど後悔してももう遅い。 「あ、これは事故ですから、僕は何もしていません。殺したなんて濡れ衣ですからね」 死神は私が責める前に弁解の言葉を吐く。 「私はまだまだ死ぬ気はないから。とっとと帰ってくれない?」 「それでも死亡者リストに挙がってますから。僕は上に従うだけです」 「そういう所だけお役所仕事か!」 この死神とは、ついボケとツッコミのようなやりとりになってしまう。なんなの、このフレンドリーさは? 「家族に心配かけたくないのよ! とっとと帰れ!」 「家族? どこにあなたの家族がいますか?」 死神はおでこにコツンと手を翳してキョロキョロ。 「この部屋にはいないけど、ほら、一階でテレビ見てるわよ。あれが両親よ」 死神は床が透明であるかのように、一階部分を眺めるようにして刻々頷いた。 「ははー、あれがご家族ですか。でもリストにないですよ。あ、そうか! じゃあ今の家族、本当の親子じゃないんだ。きっと養子ですよ、あなた。じゃあ未練も特にないでしょう。サックリと魂持っていきますね」 なんなのよ、それは! 養子だなんて聞いてないわよ! だけどそうだとしたら、両親の態度も理解できなくもない。養子に迎えた娘がいつまでも行かず後家だなんて、継母、継父だとしたら自分たちが悪いのかと、何とも言えない感情を持って当然でしょう。そんな親心をを知らずに、預金通帳を眺めて漫画雑誌を読み耽る娘だなんて、親不孝にもほどがあるってものよ。もっと早くに事実を知ってれば、私だって自分を磨く努力をしたわ! 「はい、早く魂ください。本当の親子じゃないんだから、飴で死んでも後悔なんてないでしょう?」 「サラッとキツい事言ってんじゃないわよ! 誰が死んでやるもんですか! しかも死亡原因・飴なんて、情けないにも程があるわ!」 いくら今の両親が本当の親でないにしても、私は今まで育ててくれた両親に感謝してるし、ここであっさり死ぬなんて、申し訳ないじゃない。しっかりウェディングドレス姿を見せる事こそ、親孝行ってものでしょう? あ、白無垢でもいいなぁ。 「はやく魂持って帰らないと減給なんですよ」 「あんたが減給だろうと、私には関係ないわ」 死神って公務員なのかしら? 「そんな殺生な」 「殺生なのはどっちよ! 死亡原因・飴で死んでやる気は毛頭ない! 断固ない!」 「じゃあ心臓麻痺とかにリストを書き換えておきますから」 「公的書類なんでしょ? 勝手に書き換えるとかマズいんじゃないの?」 「そうか。じゃあ、やっぱり飴で」 「だから飴で死ぬ気はない!」 何が嬉しゅうて、三十五才にもなって飴で窒息死なんか。あっ、そうだ! 早く飴を取り出さないと、私が死んじゃうかもしれないんだ! 私は私の本体に飛びつくが、手がスカスカとすり抜けてしまう。漫画雑誌も取り除けない。 「今、死なないと、地縛霊になっちゃいますよ?」 「私は死ぬ気はないと、何回言わせるのよ! 死んでも生き返ってやるわ!」 そうよ、飴なんかで死んでられないわ! 「えー、死んでも生きるって矛盾してますよ」 「言葉のアヤ! 意地でも生き返ってやるって意味だっての! そんな事も通じないのか、あんたは!」 「分かってますよ、プププ」 死神は可笑しそうに両手で頬を抑えてイヤミな笑い。私の頭に血が昇る。 「笑うな! 殴るよ、この死神野郎!」 「僕、親にも殴られたことがないんで遠慮します」 情けない言い訳は聞きたくない! 本気でぶん殴ってやろうかしら? 「近頃の若いモンは!」 「三十五才は微妙ですもんね」 「マジで殴るよ、あんた!」 この死神は、私を怒らせて何がしたいんだろう? 本当にこいつの考えている事が理解できない。 「痛くないですよ。この鎌で、体と思念体の結合部分をチョンと切るだけなんで」 「なんで草刈り鎌なのよ! 死神の鎌っていたら、もっとこう重厚で大きい感じの……」 「ああ、それはですね、コストパフォーマンス的にこのサイズが使いやすいんですよ。大きい鎌はもう古いですよ。デザインも選択の幅が狭いですし」 呆れた。なにがコストパフォーマンスよ。デザインの幅よ。あんなチャチな草刈り鎌なんかで切られたくない。よく見たら土とか付いちゃってるし! たった今まで草刈りしてました的な雰囲気じゃない! 「あと十分以内にこの鎌で体と魂切られないと、安らかに死んでもらえないんで、ちょっと軽く覚悟決めてもらえません? あ、軽くじゃなくてマジに」 「ふうん……じゃああと十分時間稼ぎすれば私は生き返るのね?」 「あっ! 口がすべっちゃった!」 「もう遅かりし! 聞いちゃったもんねーだ!」 うっかりにも程がある。まさかわざと教えてくれた? そんなはずないか。 私と死神の追いかけっこが始まった。 死神は草刈り鎌をブンブン。土付きとはいえ、当たると痛そうでちょっと危ないんですけど! 私は生身の頃とは大違いの跳躍力で、室内をピョンピョン。おお、体が軽い! これも魂だけの姿という特権なのかしら? 生き返ったらスポーツジムにでも通ってみようか。 「この騒ぎでも心配して見に来ないのか。どんだけ娘に接する態度がデリケートになってるのよ」 両親が一階で、お笑い番組を見て大笑いしている声が聞こえる。ちょっとは心配して見に来てよ! 「僕たち思念体なんで物理的な物音はしませんよ。音がしたらポルターガイストです。それより早く魂ください」 「誰がやるもんですか! あと三分!」 これだけドタバタしても両親が見に来ないところを見ると、本当に死神が言ったように、思念体だけの私たちは、物理的な物音を発てられないらしい。それができたらポルターガイストって言ってたっけ。 死神が私を追いかける。私は跳ねながら逃げまわる。クルクルクルクル。まるで円舞ロンドを踊るように部屋中を駆け回る。この年にして追いかけっこっていうのも子供染みてるけど、死神が私を諦めてくれないんだから仕方がない。全く楽しくない追いかけっこは延々続く。 逃げる私と追いかける死神のドタバタ追いかけっこ。終了時刻まであと三十秒! ……五、四、三、二、一! 勝負は私の勝利で終了した。 死神の持っていたリストがシュワワと煙になって消える。死神は若干青ざめた顔で項垂れた。 「最初から諦めろっつーの。私これでも小さい頃は鬼ごっこ得意だったんだから」 「生きることへの執念がすごいですね」 「当然よ。飴玉一つで死んでたまるもんですか」 わたしはベッドで寝ている本体に近寄った。 「もう体に戻れるのよね?」 「戻れますよ。戻ったら僕の姿も見えなくなります」 「本当かなー? じゃあちょっとやってみるか」 私は自分の体に重なるように、ベッドに寝てみた。すると意識がスゥッと何かに引き込まれる感じがして、喉の奥が詰まる。そうだ、飴を吐き出さなきゃ! 「うげー、ごほっ! やっぱこの飴が喉に詰まってたか」 私は吐き出した飴をゴミ箱に投げ入れる。そして室内を見回してみた。死神の姿はもう見えなくなっていた。 「生き返ると死神が見えなくなるんだ。もう二度と会いたくないけど」 一階でテレビを見ている両親が、本当の親でないと聞かされたことは覚えている。できれば一生聞きたくなかった事実だけど、知ってしまったからには仕方がない。それでも、育ててくれたのがあの両親で良かった。 三十五になる娘を腫れ物に触るようにデリケートに接してくるけど、それは養子とはいえ愛情を持って育ててくれて、この年まで両親と大きな諍いも無いわけで、私はそれなりに幸せだったのだろう。 死神との追いかけっこ中に思ったように、本当にポジティブにスポーツジムでも通って、もっと自主的に出会いを求めて自分を磨いていこう。それがひいては今の両親への恩返しになるんだろうから。 私は気分を良くして、新しい飴玉を口の中へと放り込んだ。もう寝ながら飴は舐めないぞ。 そしてベッドの端に座ったまま、読みかけの漫画雑誌を手に取った。自分磨きは明日からね! |
|top| |