LOST PRINCE

「死を意識するなんて何度目だろう?」
スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。

豪胆な女性マーシエとの出会いが、
スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。


     2

 マーシエの腕の腐敗進行を止め、彼女は長手袋はめ直した。もう先ほどまでの悪臭は消え、それほど酷くは臭わない。
 一度失われてしまった肉片は戻らないが、残っていた肉も筋も、あの気味の悪い色味から人間らしい色味に戻っていた。それゆえに、別の薄気味悪さが表れてしまったとも言えるのだが。
 腐敗の止まった腕に長手袋を装着し、彼女は確かめるように掌を握ったり開いたりしていた。
「溶液はまた次に使えるから、蓋でもして俺の後ろへ置いておけ」
「そうするよ」
 マーシエはたらいのような大きな容器に布で蓋をして、オーベルの後ろまで運んだ。そしてヨシと、手を叩く。
「今日のオーベルの指南は終わったのかい?」
「いや。話そうとした所にマーシエが来た」
「そいつは悪かったね。だけどフェリオはそろそろ部屋に戻らないといけないんじゃないかい? ジョアンがお茶の準備をしてたからね」
「そ、そうですね。オーベル王子、また来ます」
 おっかなびっくりしつつ、フェリオはきちんと頭を下げる。
「スラムのガキにしちゃ、わりと礼儀正しいんだよな、フェリオは」
「あたしの目に狂いは無かっただろ」
 軽口を叩き合い、女騎士は主君に対して軽くウィンクして見せる。とても主従の関係とは思えないフレンドリーな距離感だった。
「じゃあフェリオ。また次の時間に待ってるぞ」
「はい。失礼します」

 フェリオはマーシエと一緒に部屋を出て、錠前をカチリとはめ直す。そして何気なく気になっていた事を彼女に問いかけてみた。
「あの……マーシエさんは、オーベル王子が好きなんですか? 腕をもらったからって事以上に、王子の事を思ってるように見えるんですけど」
「はぁ? あはは! なにそれ?」
 マーシエは彼の疑問を豪快に笑い飛ばした。
「そうだね、みんな知ってるからあんたにも言っていいけど」
 焦らすように言葉を含ませ、マーシエはフェリオを見下ろした。
「あたしとオーベルは義兄弟なんだ。母親が違って、父親が同じなんだよ」
 王子と兄妹という事は、マーシエは姫なのか? フェリオは目を丸くする。
「そうだったんですか? じゃあマーシエさんはお姫様なんだ」
「それは違う。あたしは王が戯れに抱いたメイドの子でね。正式な王位継承権はないんだ。ま、もともとこの国に、女に王位を譲る仕来たりはないんだけどさ。だからあたしはオーベルの妹で、だけど王位を継ぐ権利なんてないただの騎士さ。それに姫ってガラじゃないだろう? あたしだって蝶よ花よなんて、お上品な姫扱いはご免だよ。今更姫だなんて傅(かしず)かれたら虫唾が走る」
 難解な立場である事は分かった。フェリオは一生懸命自分の頭の中で、彼女の立場を整理する。
 彼女は王の子ではあるが、姫ではなく庶子であり、王位継承権はない。ゆえに王族として見られていない。──で良かったのだろうか。
「ええと……じゃあ、今まで通り、普通に話し掛けても大丈夫なんですね?」
「いいよ。だってあたしは姫なんかじゃない、ただの騎士だからね」
 可笑しそうに笑う彼女を見て、フェリオは早とちりした自分が少し恥ずかしくなり、俯いて頬を染めた。

「そうだ、フェリオ」
 マーシエが思い出したように手を打つ。
「あんたの出番が近々来そうだよ」
「僕の出番って……あっ、王子の真似ですか?」
 小さく息を呑み、思わず身を固くしてマーシエを見上げる。
「ああ、そうだよ。ヘイン騎士長の直属の兵士数名と決起会を開く日取りが決まった」
「……たくさんの兵士の前じゃないんですか?」
「いきなりそれは、あんただって緊張するだろう? だから徐々に段階を踏んで謁見させる事にしたよ」
 彼の予測では、大勢の兵士の前で、朗々と開戦予告をさせられるものだと思っていた。拍子抜けではあるが、彼女の言ったように、段階を踏んで決起会を開くという段取りは、心なしか、気持ちの負担は軽い。
「えっと、僕は喋らなくていいんですよね?」
「ジョアンから聞いたのかい? そうさ。ヘイン騎士長が全てお膳立てするから、あんたは椅子に座ってふんぞり返ってな」
 彼女の言葉を聞き、先ほどオーベルに言われた事を思い出したフェリオは、小さくクスリと笑った。
「座り方にもいろいろあるって、オーベル王子に聞きました」
「オーベルはいつでも偉そうにふんぞり返ってたからね。ジョアンの指導をしっかり受けて、王族らしい座り方をしてくれなよ」
「はい」
 マーシエは肩をすくめて笑う。フェリオも自然と笑顔になった。

「あんたさ。ここに来て、随分笑えるようになったんだね」
「そう……かな?」
「そりゃ、あんたがここに来たばかりの頃は、友達がどんどん死んで気持ちに余裕が無かっただろう? 怖くて大嫌いな大人ばかりだったし。だけど最近は少し笑うようになったじゃないか」
「そうかな……自分では意識してないから……」
 困惑しているフェリオの頭をマーシエはポンポンと叩いた。
「よし。じゃあ今度、ご褒美をやるよ。兵士との謁見が終わったら、ジョアンに言って一日勉強を休ませる。いい所に連れていってやるよ」
 突然の同伴外出発言に、フェリオは驚いたように目を丸くした。
「え? もしかして外、ですか?」
 もう一生、ここを出られないと思っていた彼は、思わず問い掛ける。
「ああ、外だよ」
「いいんですか?」
「あんたの事はあたしが全部預かってる。今さら逃げるつもりはないだろう?」
 ウィンクする彼女に対してフェリオは満面の笑顔になり、大きく頷いた。
「ありがとう、マーシエさん! じゃあ、あの……ピオラのお墓参りがしたいです。ビリーとケィシィのお墓も!」
「いいよ、それも予定に組み込もうか」
 彼はうんうんと大きく頷いた。マーシエは苦笑しながらフェリオを窘める。
「こら、はしゃぎすぎない。連れていけるかどうかは、最初の謁見がうまくできるかどうかで決まるんだって忘れないように」
「はい! がんばります!」
 フェリオは明かり取りの小さな窓から空を見上げ、笑顔になった。
『ピオラ、やっと会いにいけるよ』

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