LOST PRINCE

「死を意識するなんて何度目だろう?」
スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。

豪胆な女性マーシエとの出会いが、
スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。


     2

 マーシエの剣を鞘で受け、デスティンは彼女の剣の向く先を強引に捻じ曲げる。そして体勢が崩れたところへ、剣の柄で肩を殴り付けた。
「ぐっ!」
 呻いて一歩下がり、マーシエは負けずに再び剣を構える。
 勇ましい彼女らしい負けん気だが、落ち着き払ったデスティンと比較して、あまりに余裕のない彼女の様子に、フェリオは戸惑わずにはいられなかった。
「お前と争う気はない。先の戦でお前を助けてやったというのに、まだオーベルに助力するというか?」
「どの口が助けたなどと! あたしの腕を斬り落とし、命を奪う気だったんだろう?」
 デスティンはマーシエの剣撃を軽くあしらいながら、彼女の問いに答える。
「女だてらに剣に身を捧げるなど馬鹿らしいじゃないか。その腕が不自由になれば、剣を捨てると思って斬り落としてやったんだ。妹を思う俺の気持ちが分からなかったとでもいうのか?」
「女である事など、騎士になった時に捨てた! 腕を奪っておいて、何が助けるだ! あんたの無骨で不器用な思いなど、あたしには一切伝わらないさ!」
 マーシエは叫び、彼に敵意剥き出しの言葉を、刃を向けた。

 デスティンの言い分を聞くならば、マーシエの腕を奪う事によって、彼女を助けた、つまり戦に関われないようにしたという事だろう。しかしマーシエは、敵として腕を斬られたと言っていた。両者の受け止め方は完全に食い違っていたのだ。
 マーシエに共感するなら、腕を斬り落とすなど、凶行以外の何者にも思えない。戦に巻き込みたくないのなら、他にいくらでも方法があったはずだ。騎士になったときに女は捨てたと言うが、どう転んでも彼女は女性だ。両腕を失い誰にも何にも抗えない状態は、屈辱以外の何者でもなかっただろう。やはりマーシエの言うとおり、デスティンはマーシエに対して殺意があったのではないか?
 しかしデスティンは、今現在、マーシエに敵意を剥き出しに斬りかかられているものの、反撃する素振りは全くない。剣の柄や鞘で上手く受け流しているだけだ。つまりそれはマーシエに敵対する意志はなく、純粋に彼女の攻撃を受け流して、見逃そうとしているのではないだろうか?
 どちらの言い分も、理解し得ない訳ではない。ただ、デスティンの真意は分からず、マーシエは敵意だけで剣を振るい、双方の思う所は完全に食い違っている。このあまりに非生産的な状態を打破する意見や方法は、まだ見つからない。見つけられない。

「お前はまだオーベルに従うというか?」
「オーベルがあたしの主君だ!」
「昔から本当に、お前は頭が固いな。マーシエ」
「デスティンに言われたくはない!」
 マーシエはデスティンの立ち位置からぐるりと回り込み、彼とオーベルの台座の間に立つ。そしてチラリと台座の向こう側を見て、そこにフェリオがいる事に気付いた。彼女にはオーベルとフェリオの姿が見えているらしい。彼女自身が、オーベルの魔術によって生きている存在であり、オーベルの術の影響下にあるからだからだろうか? それはどうか分からないが、彼女にオーベルの魔術が効いていない事は間違いなさそうだ。それゆえに、デスティンにオーベルの居場所を特定されるような動き方をしてしまった。

 彼女は決意を固めるように、ぐっと剣を握る手に力を込める。
「ほう。そこにオーベルがいるんだな? オレには魔術で見えないが、まだ術は解いてくれんかな? 久しぶりに兄弟で顔を合わせて話したいものだ」
 マーシエの行動でオーベルの居場所が知られた。フェリオが見つかるのもきっと同じタイミングだろう。フェリオはブルブルと震える両腕を強く掴む。
 マーシエの剣撃が軽くあしらわれていた事からしても、彼女はデスティンより力量が劣るのだろう。気迫だけでどうにかなるような相手ではなさそうだ。
 皆が噂するデスティンの剣技について思い出した。

 ──剣を一振りするだけで数十人の首が撥ねた。

 今現在も術中ではあるが、オーベルの魔術に匹敵する剣技。全く違う分野で争えるほどの技。それがどれほどのものか、フェリオには分からなかった。しかし猛烈に恐ろしいという事だけは理解できた。
 マーシエを心の中で応援しつつ、デスティンがこのまま退いてくれる事を願う。無理だと分かっているが、このままではマーシエが殺されてしまう。
 フェリオは必死に勇気を奮い起こし、このままデスティンと会話してみようと思った。先ほど彼が、『兄弟で話したい』と言ったので、今ならフェリオの望む対話が実現するような気がしたのだ。
 失敗は恐ろしく、全く見えない未来がある。自分の選択が正しいのか間違っているのかも分からない。
 オーベルが傍にいるが、マーシエを助けるためだと、必死に自分を鼓舞した。
 ゴクリと息を飲み込み、なるべく低い声を──オーベルの声音を真似してみる。
「……デスティン、少し話し合いたいのだが、一度剣を引いてくれないか?」
 フェリオの発した声に、オーベルとマーシエはハッと息を呑む。
「オーベル、か? どういう事だ?」
「話し合いは話し合いだ。他意はない」
 デスティンはフフと笑い、剣を抜身のまま切っ先を下ろした。成功したかと思えた刹那、デスティンはハハハと笑い出した。
「オーベルの世話係でも隠れているのか? オーベルの声と大違いだ」
 失敗した!
 フェリオは心臓を氷の手で掴まれたかのごとく錯覚し、身を硬くする。
 このまま殺されてしまうのか。ここへ連れてこられてから、失敗はイコール死だと教えられてきたために、フェリオは死の恐怖に捕らわれてしまった。

「やれやれ。余計な事をしてくれるガキだ。マーシエ、後は頼むぞ」
 オーベルが再び聞きなれない言葉を発した。──と同時に、デスティンと一緒にやってきた兵士が上擦った悲鳴をあげる。オーベルの姿を見た事による悲鳴だ。
 さすがのデスティンも眉を顰めて、身を硬くする。
「オーベル……?」
「ハハハッ! 情けない姿だろう? でも俺は俺だ。デスティン、姿を現してやったぞ。貴様は何を望む? 仲良くお喋りか? それとも俺を殺すか?」
 減らず口を叩くおぞましい姿のオーベルを見て、兵士の一人が失禁した。もう一人も腰が抜けている。
 デスティンは舌打ちし、さっと部屋の外を指差した。
「役に立たん奴はさっさと退け! くだらん魔術を目の当たりにして、腰を抜かす兵などいらん!」
 兵士たちに罵声を浴びせ、デスティンは腰を抜かしている兵士を乱暴に蹴った。二人の兵士は剣を投げ出して、室内から逃げ出す。やはり魔術を知らない一般の者は、このオーベルの姿をおぞましく恐ろしいとしか感じないのだ。
「ふん……多少剣の心得があったとしても、拾った兵は忠義心の薄い連中ばかりだ。いざという時、まるで役に立たん。まだ一から育ててやった孤児どもの方が役に立つ」
 兵が逃げ出し、一人きりになっても、デスティンはどっしりと構えていた。頭数だけならオーベルの手勢の方が多いが、実際の実力は、動けないオーベルの魔術、マーシエの剣技をもってしても、デスティンの剣技と均衡するのだろう。フェリオなど問題外だ。
 彼の態度から、そんな余裕が読み取れた。
「魔術でそんな姿になっても生き永らえる、か。貴様はよほど、この世に未練があるらしいな」
「当たり前だろう? 俺は俺の天下が欲しい。そのためにはどんな事をしても生き永らえてみせる。ただ、もうそれも叶いそうにないがな。貴様は俺を殺すだろう?」
「無論だ。手も足も出んとはまさにその事だな」
 軽口を叩き合い、対立する兄弟は長い争いの月日の末、ようやく対面を果たした。

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