LOST PRINCE

「死を意識するなんて何度目だろう?」
スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。

豪胆な女性マーシエとの出会いが、
スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。


     2

 ふと、輿が止まる。兵士たちが立ち止まったのだ。
 ヘインは手を背後、つまりこちら側に向けて制止している。マーシエも腰の剣に手を伸ばした。
「いるのは分かっている! 姿を現せ!」
 ヘインは声を張り上げて前方の茂みに向かって声を張り上げた。すると三人組の男たちが飛び出してきて、いきなり剣を抜いた。
「……っ!」
 フェリオが悲鳴を飲み込むと、輿はやや乱暴に降ろされた。そしてマーシエに腕を引っ張られる。
「こっちに!」
 嫌だという意味で、フェリオは彼女の腕を振り払い、首を振る。
「グァッ! グァッ!」
 輿を担いでいた兵士たちが喉を鳴らす。フェリオはこの時初めて、彼らが喋れないのだと気付いた。首に巻いたスカーフは、声帯を潰した傷を隠すためだったのだろう。
 喋れない兵士に、輿を担ぐ役に選んだのは、万が一、フェリオが影だとバレた時のための処置だと推測できた。あまりに用意周到な状況に、フェリオは心の中で一人唸るしかなかった。
「デスティンの兵士だよ! あんたを狙ってる!」
 怒鳴りつけるようにマーシエは言い、もう一度彼の腕を掴んで駆け出す。
 ヘインとアスレイ、そして輿を担いでいた兵士四人から離れるように逃げ出し、マーシエはフェリオを引っ張って走る。町外れにある廃屋や木々を縫うように走り、フェリオを連れて逃げた。
 そして一軒の廃屋の前で足を止める。
「ここまでくれば……」
 息の切れたマーシエとフェリオは空気を貪る。
「どうしてマーシエさんはヘインさんと一緒に戦わないんですか?」
「あんたを放ってはおけないだろ? あんたは戦えないし、奴らはあんた……いや、オーベルが狙いなんだ」
 マーシエはゆっくり深呼吸して息を整えた。しかしフェリオはまだ息が切れている。基礎体力の差なのだろう。
「しかしなんで今日、オーベルが出てくるとバレたんだろう? やはり間者(かんじゃ)が忍び込んでいるのかもしれないな」
「間者?」
「情報を探って敵に流す裏切り者、スパイの事さ。こちらの情報をデスティンに流している奴がいるって事だよ。さすがにあの隠れ家にはまではいないみたいだから、ヘイン騎士長の連れてきた兵士の中に紛れてるって考えた方が良さそうだね」
 オーベルから命を狙われ、デスティンからもオーベルの影として命を狙われる。フェリオの心は穏やかではいられなかった。
「フェリオ、ちょっとその辺りを見てくる。あんたはここへ隠れてな」
 彼は答えず、マーシエを見上げる。
「……あたしの言葉が信じられない、か」
 彼女の肩が落ちる。フェリオは胸の中を渦巻く感情、猜疑心を整理しようと、深く息を吸い込んだ。
「分かりました。今だけはマーシエさんを信じます」
「ありがとう、フェリオ。すぐ戻るから」
 マーシエは身を屈めるように慎重に駆け出した。

 崩れた廃屋の影に、フェリオは身を潜めている。その間もずっと、マーシエの事を考えていた。

 このままマーシエを信用して大丈夫なのか。
 あの時のマーシエの涙、言葉、どれも演技でできるのものなのか。

 繰り返し自問自答する。
 考えていると、砂利を踏む音が近付いてきた。フェリオはそっと頭を出してその音の方を見る。
 マーシエのような軽鎧を着た男が、キョロキョロ周囲を探りながら歩いてきた。思わずフェリオは頭を引っ込めるが、相手に見つかる方が早かったらしい。
「誰だ!」
 フェリオは身を固くして蹲る。デスティン側の兵士なら、オーベルの真似事をしている自分は殺されてしまうかもしれない。
 頭から被っていたヴェールを取り、フェリオはますます身を小さくした。
「ガキか? 身なりからして、スラムのガキじゃないようだが……」
 煤けた金髪を一つに纏め、赤銅色の瞳をしている。体格はヘイン並によく、フェリオなど武器無しでも捻り潰せそうなほど、逞しい両腕が覗いていた。
 オーベルの影だとはバレていないらしい事が分かり、フェリオは少しだけホッとする。しかしデスティンの兵だとすれば、オーベル側に与していると分かれば、ただで済まないだろう。まだまだ緊張は続く。
「どうしてこんなところにいるんだ、ガキ?」
 どう答えたものか思案し、迷子を装ってみる事にした。
「……父さんと母さんからはぐれました」
「迷子か、ふぅん」
 フェリオは緊張した面持ちのまま、彼を見上げる。
「家は? 近くまで送ってやる」
「えっ? えっと……」
 意表を衝いた見知らぬ彼の親切に、フェリオの言葉が続かなくなる。
「どうした?」
「……へ、兵士は怖いから……一人で大丈夫……です」
 しどろもどろに断りの返事をする。
「今、このあたりにはデスティン軍とオーベル軍の兵士がうようよしてるんだ。見つかったら殺されるぞ」
 やはりデスティンの軍勢なのかと、フェリオは唾を飲み込む。
「あの……あなたは?」
「オレ? オレはデスティン軍だよ。今日、オーベルが姿を現すというんで、この辺を探ってた」
 やはりそうだ、と、フェリオは身震いする。
「僕、もう行くから……お、送ってくれなくても大丈夫だから」
 フェリオは逃げるように後退るが、彼はずいと歩み寄ってくる。
「よく見れば、なんかオーベルみたいな服だな。普通の金持ちのガキが着ないような服だ。サイズも合っていない」
「それは……なんでもないです……」
 彼はニヤリとしてフェリオの腕を掴み上げた。
「お前、オーベル軍のガキだろう?」
 見破られ、フェリオは強く目を瞑る。
「ハハッ! オーベルの奴、随分莫迦正直で臆病なガキを抱え込んでるんだな」
「ぼ、僕はそんなのじゃありません」
 声が上擦る。彼はフェリオの言葉など信用しない。
「下手くそな嘘を吐くようなガキにはお仕置きだ」
 殺される! と、フェリオは強く目を閉じて顔を背けた。少しして、頭をコンと拳で緩く叩かれた。
「お仕置き終わり」
「……は、い?」
 驚いて彼を見上げると、彼は赤銅色の目を細めて笑っていた。
「無闇やたらとガキは殺さない。ガキは成長する分、いろいろ役に立つ。むろん敵にならないとも限らないが、未来を担うガキには刃は向けない。それがデスティン軍の隊規だ」
 マーシエやオーベルから聞いていた話とあまりに違う。フェリオは目を丸くして彼を見上げた。
「で、でもデスティン軍はスラムで孤児狩りとかしますよね? デスティン王子が剣の試し斬りにするために子供を捕まえてるって聞いてましたけど……」
 怯えながら問い掛けると、彼は肩を竦めて答える。
「はぁ? 剣は人を斬れば斬るほど、脂で切れ味が鈍る。新しい剣ほど、人斬りに向いてないもんだよ。人なんか斬れば、剣の寿命を縮める。それに死体の処理も面倒だ」
「そうなんですか?」
「オーベル軍では酷い噂を流されてるんだな」
 彼の言葉を真に受ける訳ではないが、信ぴょう性はあった。人を斬り殺せば死体が増える。デスティン軍が死体を捨てているという話は、どこからも聞いた事がなかったのだ。しかし捕まえているのは事実だ。実際彼も、孤児狩りに追い回された経験があるのだから。
「孤児狩りで捕まった孤児はどうなっているんですか?」
「行儀見習いさせる名目で、城で召使いとして使ってやったり、兵士にしたり、城で扱えなきゃ末端の仕事を斡旋したりだな。スラムの者でも、仕事に就けるように取り計らってやってるんだ」
 彼の言葉に衝撃を受け、フェリオは黙り込む。これでは、デスティンは暴君と聞いていたのと全く逆の人物ではないか。
「それならどうして、大人たちはオーベル軍を支持したりするんですか? デスティン王子のやってる事は立派なのに」
「そいつはアレだ。国民の目から見て表面化しないからだ。スラムの連中は基本的に一人者が多いだろう? だから自分が仕事に就けたとしても、誰にも言わない。言う相手もいない。スラム時代に仲間がいたとしても、文字が読めなかったり連絡手段を持たないから、自分の状況を伝えようもない。スラムにも戻れないしな。そして表面ではオーベル軍との抗争でそういった下っ端の兵士がゴロツキのように町を練り歩く。デスティンの悪名は勝手にひとり歩きするさ」
 彼はさも愉快そうに笑い、フェリオの頭を撫でる。
「お前はオーベル軍の兵士のガキか? それとも重鎮の中の誰かのガキか?」
「ぼ、僕は……誰でも、ないです」
「は? じゃあ孤児か? そんな仕立てのいい服を着てるのに」
「ひ、拾いました!」
 思わず苦手なはずの嘘が口を衝いて出る。しかしそれは正解だった。彼は笑いながら、腰に下げた革袋から銀貨を取り出した。
「馬鹿正直なスラムのガキだな。本来なら城に連れてって仕事を与えるんだが、今回ばかりは見逃してやる。それで食い物でも買え。次に見つけたら城へ連れて行く」
 銀貨を一枚フェリオに握らせると、彼はさっと身を翻した。
「本当にこの辺りにはまだ、デスティン軍とオーベル軍の兵士がうろついている。さっさと町にでも逃げるんだな。じゃあな」
 彼はそう言い、颯爽とその場から消えた。彼との会話が頭の中で幾度も反芻する。
『デスティン王子って、オーベル王子より王としてふさわしいんじゃないのかな? ただやり方が強引だから、みんなに誤解されてるんじゃ……』
 フェリオは手の中の銀貨を見る。彼のくれた銀貨は、マーシエとの出会いを思い起こさせた。
「……マーシエさん……」
 フェリオはそのままじっと、マーシエが戻ってくるまで待った。先ほどの彼と、マーシエが鉢合わせしない事を願いつつ。

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