Light Fantasia

オウカという国には各国から腕自慢が揃う冒険者組合がある。
名(迷)物補佐官でありながら冒険者でもあるファニィ、美貌の怪力美女ジュラフィス、
健気で超天才児のコートニス、生真面目で世話やき基質のタスク。
凸凹四人組が織りなすハチャメチャファンタジー!


       3

 食堂の片付けが終わり、寮の自室に戻ってきたのは夜中だった。今日はなぜか特に忙しく……恐らくは俺の体調復帰で飯の味が戻ってきたからだとは思うが、片付けが中々終わってくれなかったんだ。先輩たちもどんどん俺の味を盗んで腕を磨いてくれりゃいいのに……。

 酷く疲れていたが、魔法の勉強だけはやっておかないと姉貴にまた怒鳴られる。なんせ毎日組合に顔を出しやがるからな。コートの修行があるとはいえ、一体いつまでオウカに居座るつもりなんだ? 仮にもジーンの賢者だろうが。
 魔法書を引っ張り出し、俺は小さな机に魔法書を広げて椅子に腰掛け、行儀悪く頬杖をついて魔法書の文字を目で追っていた。駄目だ……やっぱ疲れてて全然内容が頭に入ってこない。
 しばらくして、控えめなノックが聞こえた。こんな夜中に来客とは珍しい。組合に来てからずっと親身にしてくれているイノス先輩でも来たんだろうか?
「タスクー。寝てるー?」
 おいこら待て。なんでこんな夜中にファニィの奴が訪ねてくるんだよ。何度も何度も言うが、組合の男子寮は女人禁制だ。本人はまるで聞く耳持っちゃいないが、補佐官だろうとそれは関係ない……はず。
 なんかもう、俺が記憶してる規約に自信なくなってきた……。

「ったく……おいファニィ。お前、男子寮は女子の入室禁止だって何度……」
「ごめーん。急用」
 不満顔でドアを開けてやると、ファニィが珍しく神妙な顔で片手を顔の前に掲げていた。詫びのポーズだ。本当に珍しい。
「なんだよ。急用って、仕事の依頼か?」
「仕事っていうか、頼まれ事してもらいたいんだ」
 ファニィが後ろ手に回していたもう片方の手を前に持ってくると、それに引っ張られるように小さいものがくっ付いてきた。よく見ればそれはコートだ。
「なんでコートがここにいるんだ? コートは特例でジュラさんと女子寮のはずだろ?」
 ジュラさんの面倒を見なくちゃならないコートは男だが、特例で女子寮のジュラさんと同室で生活している。まだガキだし、コートの良いとは言えない性癖を熟知している元締めが、コートなら女子寮でも問題は起こさないだろうと決定したらしい。
「なんかずーっと、組合の中をあっちこっち徘徊して隠れて逃げ回ってたみたいなのを、あたしがさっき発見して保護したの。どうも訳ありみたいで、あたしにも何にも話してくれないし、ジュラの部屋に帰そうとしたら柱にしがみ付いて嫌々するし。だからタスクになら何か話してくれるかなって思って連れてきたんだ」
 俺は額に手を置いて、やれやれと嘆息する。
「姉代理のお前に話せないような事を、俺に話してくれるはずがないだろうが」
 通常会話ですら、俺とコートじゃよほどでない限り成立しないってのに。
 コートは何か困った事があると、実の姉であるジュラさんではなく、ファニィにいつも相談していた。おおらか過ぎるジュラさんじゃ話しても埒が明かない事を承知しているからか、コートにとってファニィは頼れる二人目の姉といった存在なんだ。ファニィもコートを可愛がって大事にしてるし、この三人の間へ、新参者の俺が入り込めるようなもんじゃないと思うんだが。
「うーん……でもタスクはコートにとって特別な人じゃない? だから話せないでも、今夜泊めてあげてほしくって」
「そういう場合は保護者代理のお前が泊めてやれよ。本部の客室とか余ってんだろ」
「できる事ならそうしてあげたいんだけど、でも困った事に、あたし明日から元締めの代理で地方会議出席なの。だからタスクにコートの面倒見てもらって、ついでに後始末も頼もうかと」
 なんとなく思ったんだが……俺、物凄く便利屋扱いされてないか? 冒険者組合ってのは、まぁ言い方変えれば『便利屋集団』みたいなもんなんだが。その中でも特に、俺はファニィにいいようにこき使われているような気がする。
「……ちなみに聞くが、ここで『嫌だ無理だそんなもん知るか』と答えると、俺はどうなる?」
「うーん。そうだなぁ……よし! 無期限の九割減給と、一ヶ月の謹慎処分。あ、もちろんその間のバイトも禁止。ついでに組合全館のトイレ掃除もオマケしちゃう。大盤振る舞いよ、うふ」
 鬼か、悪魔か! このクソアマめ!
「分かった……預かる……」
 これしか選択肢がねぇじゃねぇか。この暴挙っぷりは姉貴といい勝負だ。
「じゃ、よろしく」
 ファニィがコートの背を押すと、コートは無言のまま、だが遠慮気味に俺の部屋に入ってきた。その足取りの重さは、嫌だの帰りたくないだのと喚き散らすのにも、もう疲れてしまっているせいなのだろう。ファニィもそれを見越して、ジュラさんの所へ無理矢理帰すのではなく、俺の所へ連れてきたのかもしれない。

 ファニィはふっと表情を和らげ、コートの背に向かって声を掛ける。
「コート。あたしに話せなくても、タスクになら事情を話してくれるよね? 明後日、あたしが帰ってきたら、ちゃんと笑顔で出迎えてよね。あたし、余計な心配しないでおくから」
 コートはファニィの方を振り返り、そして泣き出しそうになるのを必死に堪える表情になってそのまま俯く。だが何も言わない答えない。
「じゃ、おやすみ。タスク、お邪魔さま」
「ああ。明日、気を付けて行ってこいよ」
 ファニィを見送って、俺はドアの施錠をした。

 さてどうするかね。すぐに事情を聞き出そうったって、今こいつは相当意固地になってるだろうから、煽てようが宥めようが、何を聞いたって絶対に口を開こうとしやしないだろう。ならしばらく放っておくに限る。
 はぁ……俺は本来、ガキの相手は苦手なんだぞ。
「適当にそのへん座ってな。眠かったら勝手に寝ていいから。俺はまだ起きてるけどな」
 寮の部屋は基本、一人部屋だから必要最低限の家具しか揃っていない。俺がさっき魔法書を広げた小さな机と椅子、固いベッド、それに数着しか服を吊るせない細見のクローゼット。ま、こんな部屋でも、一人で生活する分には充分だ。唯一難を挙げるとすれば、新たに買ってきた本や魔法書を置くスペースが無さすぎるって事くらいか。
 勝手に寝てろとは言ったがベッドは一つしか無いし、コートを寝かせる場合は俺の隣に寝かせざるを得ない。こいつは体が小さいからそれでも特に問題なく眠れるだろうが……まさか俺、襲われないよな?
 ははっ……ガキ相手になにビビッてんだよ、俺。自分の思考に苦笑しながら、俺は椅子に座って勉強の再開をした。

 さっきまでは全然頭に入ってこなかった魔法書の内容だが、一度集中すれば至って問題なく、短時間でかなりの情報を吸収していた。俺はやっぱり根っから魔法使いになりたいんだなぁ。改めて自分の置かれた状況を顧みてしまう。
 ふと我に返り、随分時間が経っている事に気付いた。もう真夜中じゃねぇか。
 さすがにコートも寝ただろうと振り返って様子を伺うと、ベッドの影に隠れるように床に座って膝を抱えていた。適当に座れと言ったが、床に座れとは言っていない。気候が穏やかなオウカであっても、夜はそれなりに冷えるんだから、床なんかに座ってたら体を冷やすだろうが。
「おいコート。こっちに座れ」
 ビクッと怯えたように俺を前髪の隙間から見上げ、コートは更に身を固くして身を竦める。
「お前に風邪なんかひかれたら、俺が減給になっちまうだろうが」
 俺はコートの帽子を取り、椅子の背に引っかけた。そして奴の前にしゃがみ込み、ポンとサラサラの金髪の上に手を置いて表情を緩める。
「珍しいな。俺は初めて見たぞ。お前がジュラさんと喧嘩なんかしてんの」
 部屋に帰りたくないと駄々を捏ねるって事は、唯一の身内であり同居人であるジュラさんと何かトラブルがあったと考えて間違いないだろう。おとなしくて頭が良くて機転も利いて、しかも何事にも素直で従順だと思っていたが、やっぱりコートだってごく普通のガキなんだなぁと、ある意味感心した。
 コートのとんでもない知能指数の高さと、控えめな性分や育ちの良さからくるクソ丁寧な物言いのせいか、俺もファニィもコートを大人として扱う部分が多々あったからな。
 だが今、俺の前で拗ねて蹲っているチビは、どこからどう見ても、姉と喧嘩して家出もどきをしているガキそのものだ。
「お前がそうやって一人で勝手に拗ねて捻くれてるのって、ある意味面白い見世物だぜ。だけどなんかちょっと安心した。お前だってそういう歳相応な反応もできるんだなって、新しい発見をした気分だ。俺がお前くらいの歳の頃は、もっと我が儘で気分屋で、自分の魔法使いとしての未熟さに自棄ばっか起こして、気に入らない事があるとすぐに拗ねて癇癪起こして人や物に当たり散らしてた。で、それも虚しくて余計に悔しくなったりしてな」
 俺はベッドの縁に座り、膝の上に頬杖をついた。
「ジュラさんの何に対して拗ねてんのかは知らねぇけど、ファニィが帰ってくるまでには機嫌直せよ。あいつだってお前の事、心底心配してるんだからな」
「……分かって……います……」
 顔を膝の上に伏せたままだが、とりあえず返事ができるくらいには機嫌が直ったらしい。くぐもった声の返事が返ってきた。
「お前さ。せめてもうちょっとだけ顔上げて話せねぇ? お前がそうやって蹲ってると、ただでさえお前の小さい声が籠って聞こえにくいし、それになんか道端の石ころかぬいぐるみ相手に話してる気がしてくるんだが。俺はそんな危ない趣味はねぇぞ」
 コートは答えなかったが、随分時間を掛けて、少しだけ顔を上げた。目には涙をいっぱいに溜めている。こいつの泣きべそはいつもの事だから、いちいち気にしていられない。
「床に座るのも禁止。そのまま寝たらお前、朝までに真っ黒砂だらけだぞ。ほら、こっち座れ」
 ベッドの上をポンポン叩いて場所を示すと、かなりの時間を置いてから、コートはゆっくり立ち上がった。そして俺とは並びではあるものの、一番離れる位置、ベッドの足元の方へよじ登って座った。最初に放ったらかしにしておいた時間と、俺が関係ない話を振って気を紛らわせた事が、コートの気持ちを少しは落ち着いた状態へ導けたのだろう。
 俯いたまま床の一点をじっと見つめて何も言わない。泣く寸前のように目に涙をいっぱいに溜めて、ピッと口を真一文字に結んで泣くのを必死に堪えているといった様子だ。その様子がなんとなく懐かしいような感覚に見舞われる。確か俺も……似たような事をしたような気がする。まだジーンにいた頃なのは確かなんだが、ちょっとすぐには思い出せそうにないな。
「昼に俺がお前に無理矢理、人参食わせようとした事が気に入らないのか?」
「……それは……あまり、関係……ないです」
「多少はあるんだな」
 コートの青い大きな瞳が一瞬揺らぐ。
「……姉様が……僕の味方……してくださいませんでした……いやなこと、言いました……」
 完璧にガキの我が儘だ。自分の気に入らない事で癇癪をおこして暴れ回る子供もいれば、コートのようにいつまでも拗ねて臍を曲げっぱなしの子供もいる。〝自分の姉が自分の嫌な事を言ったから〟なんて理由、どうしようもなくお子様感覚全開な理由だぞ。
 少々呆れてコートをたしなめようと口を開きかけた俺だが、ふいにコートの姿に、自分のガキの頃の姿がダブッて見える。そのまま俺は自分の額に手を当ててため息を吐いた。

「お前の拗ね方。どっかで見た事あると思ってたが……そりゃ俺だ」
 道理でさっきから無性に、ジーンにいた頃の俺の姿が何度も頭ン中をフラッシュバックすると思ったよ。
 コートは前髪の隙間から、ちらりとこっちの様子を伺ってくる。
「ジーンにいた頃。確か……俺が十二だか十三だかの頃だ。姉貴と大喧嘩して、俺はもう家に帰らないって、一週間くらい家出したんだ。ああ……今もまぁ……ある意味、家出中なんだが」
 そういや俺もコートも、姉と弟って関係のきょうだいで、長男で末っ子だという点が同じだな。ジュラさんとは違う意味で、俺も姉貴に振り回されるという点も同じだ。
「ジーンは独特の風習が多いのはお前も知ってるだろ。その中の一つに、いまだに許婚の風習が残ってるんだ。十五を越えた女子は、結婚相手を決めるっていうな。姉貴も許婚を決めるって事になって、俺は姉貴の婚約者に姉貴を取られると思って猛反対したんだよ」
 コートがその小さくて細い指を口元に当てる。
「……ミサオ、お師匠様……ですよね?」
「ああ。もちろん姉貴も許婚の風習に多少の反感はあったみたいなんだが、なんせ次期賢者に相応しいとして、すでに王宮の元老院に候補に挙げられてたもんだから、姉貴も立場上『なんでお前はジーンの決まり事が守れないんだ』ってな理由で俺を責めて、そこで俺と大衝突。俺は姉貴に罵声浴びせて家を飛び出したって訳だ。ま、一週間後に当の姉貴に見つかって家に連れ戻されたんだけどな。そりゃもうボッコボコに殴られて」
 あの時、姉貴は自分の手で俺を殴りまくったよな。普段の喧嘩なら、魔法金属の杖で手加減無しの渾身の一撃をお見舞いしてくれるんだが。
「姉貴は家出した俺の事、本気で心配してくれてたんだよ。俺だって顔グチャグチャにして泣いて帰ったけどな。だって俺、何だかんだ言っても姉貴が好きだったから」
 言動が支離滅裂で我が儘で無茶苦茶な姉貴だが、俺は家族の中で姉貴が一番好きだ。もちろん歳が近い一番身近な相手だというのもあるが、どんなに罵倒されようが殴られようが、結局俺の事を一番よく理解してくれてるのは姉貴なんだ。特に何かあった訳でもなく、俺はそれをはっきり自覚していた。
「……僕も……姉様、好きです……」
 コートはまるで自分に言い聞かせるように呟く。
「やっぱりお前と同じだよ、俺は。姉貴はすぐ怒るし趣味は弟いびりだし、けど家族の中で誰より俺の事を親身に思って可愛がってくれてて、俺もそれが分かってたから、他の奴に姉貴が横取りされるなんて嫌だったんだよ。あの頃の俺ってホンット、ガキそのものの考え方しかできなかったんだな。今はちったぁマシになったと思ってるけどさ」
 コートは黙って俺の話を聞き入っている。
「今はまだ俺は、ジーンに戻りたいとは思わないけどさ。できる事なら姉貴とだけはいつでも連絡を取り合えるようにしてたいと思ってるぜ。俺は姉貴を、姉貴として、魔法使いの先輩として、誰よりも尊敬してるし……一番好きな人だからな」
 姉貴の水鏡の占術と俺の魔力を何かの魔的な物質とかで共鳴させられれば、いつでも交信ができると思うんだが……俺の魔力じゃ、それすら叶わない。あのタイガーパールを媒体として使ったって、俺と姉貴が自由に交信するには決定的に俺の魔力が弱すぎる。
「……あの……お師匠様の……その……ご婚約は……」
「ああ。先方から解消させてくれって断られたよ。俺みたいなのがウロチョロしてたんじゃ堪らないってな。それ以来、姉貴にその手の話が来なくなってなぁ。まぁ、俺の悪名の方が、姉貴の賢者としての名声より上回っちまったってトコかな」
 俺の負い目、『カキネ家の魔術師』として、な。
 コートはまた俯き、両手を膝の上で重ね合わせる。
「……お前も同じなんだろ、俺と?」
 今ならコートの気持ちが少しは分かる気がする。
「ジュラさんに気になる人ができたとか、そういう事で拗ねてんだろ、お前」
 自分で言いながらも、腹の底ではつい『あのジュラさんだから有り得ないかも』なんて思ってしまったりしている。しかし俺の指摘は図星だったらしい。
コートが胸の内を俺に言い当てられ、ビクッと震えて身を強張らせる。おいおい、マジかよ……あのジュラさんだぜ? 食い物とコートの事しか考えられないんじゃないのかよ。
「……姉様が……僕から離れていっちゃう……」
 コートは苦しそうにそう呟き、ついに膝の上に涙の粒を落とした。もう堪えているのも限界だったんだな。
「僕……姉様に……ね、姉様が、特別な人……ご好意を持たれたら……ちゃんと祝福してさしあげようって……ずっと思ってたのに……でもできなくて……」
「あー……まぁ、弟としてというか、仲がいい姉弟の片割れとしちゃ、確かに複雑な心境だよな」
 マジで俺と同じパターンをなぞってやがる。俺とコートはもしかしてかなり似てるんじゃないだろうか? あ、いや俺は同性愛の趣味はない。うん、俺ノーマル。
 それなりに世間ってものが分かってきた時、女って生き物が男である自分とは違うものだって理解した時、一番身近にいる女は大抵お袋や女姉妹だ。比較的年齢も近くて自分の事を分かってくれている姉という存在は、大多数の男なら、多分生まれて最初に意識する異性だろう。
 俺の場合はミサオ姉貴を、コートの場合はちょっと年齢は離れてるけどジュラさんを。そんな自分の一番好きな人を、別の誰かに取られたくないと思うのは必然だと思う。
 姉弟だから絶対に結ばれないし、でも姉弟だから一番理解し合ってる。そして死ぬまで血で繋がった縁は断ち切れない。ゆえに最も心を許し合える関係でいられる。そんな相手だもんな。

「……だって……」
 コートはしゃくりあげながら、片手で目元を拭う。俺はコートの言葉をじっと待った。
 あの、のほほんとしたジュラさんが好意を持ち、そしてコートにここまでの喪失感と嫉妬心を煽るような相手か。なんか想像もできないな。そんな相手がこの世に、しかもこんな組合という狭い囲いの中にいるんだろうか?

「……だって……僕、の方が……先に好きに……なった人、なんだもの……」

 コートの言葉によって、ふいに俺の背筋を冷たいものが流れ、頬が引き攣る。コートを中心とした室内の空気が一気に鉛になったかのように、比重を増したような気がする。
 いや……いやいやいや。いや待ってくれ。違う。きっと違う。違うと誰か言ってくれ。というかこんな必死の否定を誰にともなく乞うている時点で、俺、はっきり自覚してないか? いやいやいや! 違うから! 俺の考え、きっと間違ってるから!
 自分で自分に対して必死に言い訳し、言い聞かせ、否定の言葉を誰にともなく乞う。全身に嫌な汗をかきながら、俺は全身全霊をかけて必死に祈っていた。
 頼むから、このクソ嫌な予感が間違ってくれていますように!
 だが、冷徹な声が俺の心臓を鷲掴みにした。

「……姉様のこと……どう思われていますか、タスクさん?」
 俺を見るコートの目には、明らかな嫉妬と恨みと妬みが込められていた。

 やっぱり俺かよーっ! でもなんで俺っ? 俺、なんもしてないじゃん! なんでジュラさんみたいな絶世の美女が、俺なんかを相手にしようって気になってんだよ! これもアレか? ジュラさんお得意の天然ボケかっ? 答えろ誰かーッ!
「いやっ……俺……何も……その……別に……というか! ……違っ……」
 肯定の言葉も否定の言葉も出てこない。いやいやいや否定なんだが! しかし俺の頭は完全にオーバーヒートして、言語中枢が完璧に麻痺してしまっていた。
「じゃあ僕……は嫌い、ですか?」
「おまっ……好きとか嫌いとかじゃなく……」
 しどろもどろ。
 たかが十歳のガキの妬みに、俺は完全に震え上がっていた。
 やっ、やましい事なんて何もないんだ! 俺はジュラさんもコートもただの仲間だと思っていて、ファニィが好きなのであって、だが決して二人が嫌いという訳でもなく、コートが可愛いと思うのは弟みたいだというのであって、ジュラさんが素敵だと思うのはあの美貌あっての事で、本当にやましい気持ちなんてこれっぽっちも……ッ!
 そう言えたらどんなに楽だったか。だが俺はひたすら意味のない接続語しか口にできなかった。本当に言語中枢が麻痺してやがる。

「タスクさん、は……姉様と僕、どちらがお好きなんですかっ? 答えてください!」
 コートが胸の内に秘めていたものを全て吐き出すかのように叫んだ。

 うわあああっ、直球来たーっ! もう逃げられねぇ!
 俺は自分の胸に手を置き、浅い深呼吸を繰り返した。落ち着け、どうでもいいからとにかくまずは落ち着け、俺。
 何度か深呼吸して、俺はどうにか少し頭を冷やす事ができた。考えは上手くまとまらないが、とにかく喋りながら勢いで言葉をまとめるしかない。
「い、いいか、コート。よく聞け。俺は確かに、お前の言う通りジュラさんが好きだよ。だけどそれはあくまで仲間としてだ」
 コートが何か言いたそうに口を開き掛けるが、俺は更に自分の言葉を被せる。
「俺はお前の事も好きだよ。ファニィと同じで可愛い弟だと思ってる。ファニィについても同じ。俺は幸運にも、俺の気に入ったメンバーでチームを組んでもらえた。すっげーラッキーだったと思う。だから俺はこれからも、お前もジュラさんも、ファニィの事も好きでいたい。だから仲間内の順序や優劣を付けさせてくれるな」
 おし、何とか言い切った! まずは第一関門突破!
「僕はそういう、ことを聞きたいのでは……なくて……個人的な……」
「ジュラさんが俺をどう見てようと、俺がその気にならなけりゃ、お前が心配するような関係になる訳ねぇだろうが」
 コートの言葉を遮って、俺は自分の意見を押し切る。だがコートは細い眉を顰めて頬をぷっと膨らませる。
「でもそれじゃ……姉様が可哀想です」
「は? なんだそれ? お前、俺とジュラさん、くっ付けてぇの?」
 コートはあっと両手を口元に当て、ブンブンと首を振る。
「い、いやですっ! だって僕の方が先で……っ!」
「お前とも妙な関係になるつもりはない。何度も言ってるが、俺はノーマル。お前の趣向性が異常なの。お前が俺の周りを勝手にウロチョロする分には、俺は別に困りゃしないし迷惑とも思わないから、今まで通りお前の自由にしろよ」
 これは完全に俺の譲歩。ここでコートを変態呼ばわりするだけして突っぱねたら、別の意味で恨まれて何を仕出かされるか分からない。こいつ、生きた人間目掛けて平然と着火済みの火薬玉投げてくるような危険な奴だし。
「なぁ……今のままじゃ駄目なのか? 俺はファニィにからかわれてこき使われて、お前は俺に熱い視線を投げ掛けつつジュラさんの面倒見ながら俺とファニィの口喧嘩を諌めて、そこにジュラさんがいつも通りの突拍子もない頓珍漢な意見をぶつけてきて、結局みんなで大笑いしてって。俺、今のこの四人の関係、楽しくて結構気に入ってんだけどな。傍から見てても、いいバランスで成り立ってると思わねぇ?」
 コートは毒気が抜けたように穏やかな表情になり、ゆっくり両手を自分の胸に置く。そして思い出すように、僅かに首を傾げて視線を泳がせた。だが口元が、ほんの僅かに笑みの形へと緩んでいた。
「……そ……そう、です……ね……はい……」
「だろ? お前だっていつも楽しそうにニコニコしてるじゃねぇか」
 俺は更に念を押す。コートはただでさえデカい目を見開き、ようやく気付いたかのように小さく喉を鳴らす。
「……はい。皆さんといるの……楽しいです、僕も」
 コートが可愛らしく微笑み、大きく頷いた。よし、完全にコートの毒気というか、嫉妬心は抑えられたようだな。
 コートはコクンと頷き、一度だけ大きく深呼吸した。そして頬を染めて俺ににじり寄る。
「あ、あのっ……そ、それじゃっ……」
「なんだ?」
 コートが一大決心したかのように、両手を胸の前で握って俺をじっと見上げてくる。
「そ、それじゃ、あのっ……あの……ぼ、僕、このまま……タ、タスクさん、のことっ……ず、ずっと好きでいていいですかっ?」
「うぐ……う、あー……いや、それは……ちょっと返答に困るんだけど……俺、何度も言ってるようにノーマルだし……」
「やっぱり姉様のほうがいいんだ……」
 コートがまた泣き出す寸前の子供の顔になる。
 ジュラさんかコートかって言えば、そりゃ女性であるジュラさんの方がいいに決まってるぜ? だけど俺は、あのトンデモ女のファニィが好きなんだ。コートには言えないけど。
「……お前、ホント両極端だよな。その話題、もう勘弁してくれよ。堂々巡りだぞ」
「ごめん、なさい……でも……僕、タスクさんの気持ち……知りたくて……考えても考えても分からなくて……ずっと心に引っかかっていて……」
 コートが顔を真っ赤にして俯く。
「だーっ! もうお前の勝手にしろ! 何か言うたびにいちいち泣くな拗ねるな恨めしそうな顔するな! 俺は今後も今まで通り、ジュラさんもお前も仲間以上の関係として見ない。お前はお前の好きにしやがれ! 以上、話は終わり! これ以上ゴネたら外に放り出す!」
 俺はコートの腕を掴んで強引に引き寄せ、乱暴にクシャクシャと髪を掻き乱すように頭を撫でてやる。コートは一人でわぁわぁキャアキャアと騒いでいるが、まんざらでもないようだ。そりゃそうだろう。こいつ、俺の事が好きで、俺にじゃれてもらってる訳だし。
 一通り髪をクシャクシャにしてやってから解放すると、コートは少し拗ねたように、だが嬉しそうに頬を染めて髪を整えながら、俺を上目使いに見上げてきた。
「……え、えへへ。タスクさんの仰るようにします」
 やっぱりどこからどう見ても、愛くるしい美幼女にしか見えねぇよなぁ……心底嬉しそうな面しやがって。
「姉様はご自分のお気持ちに……全く気付いていません」
「だろうなぁ。あのジュラさんだし」
 ある意味本能のままに行動する人だもんな。あの人の人生における優先順位は、コート・コート・飯・おやつ・コートって感じだし。
「だ、だから……僕、のほうが……姉様より有利です、よね。だってちゃんと、す、好きだって言えるように……なりましたから」
 ……ヤバ。
 なんかこいつ、妙に自信付けやがったぞ? 俺、コート怖さに譲歩し過ぎたか?

「……あ、あの……えと……タ、タスクさんのお部屋……その……また今度……遊びにきても……い、いいですか?」
「断る理由はねぇけど……あ、絶対勘違いすんなよ! お前は俺の仲間でしかないんだからな! お前が来ても、俺は一人で本読んでるし、お前なんか無視してるからな!」
「それでもいいです。僕、タスクさんの……お傍にいるだけで、嬉しいですから」
 ああ、俺はまたこいつを付け上がらせるような事を……。
 だがひとますコートのご機嫌は無事に直ったようだ。ファニィとの約束も果たせた事になる。ああ、減給にならなくて良かった。
 本部の中をずっとコソコソ逃げるように徘徊していたと言うファニィの話は本当だったようで、就寝のために灯りを消すと、コートはすぐに安らかな寝息をたてはじめた。おとなしく寝てる姿は可愛いんだけどなぁ。こいつの悪癖を矯正してやる方法はないもんだろうか?
 しかし……よくよく考えれば、コートの問題は、師匠である姉貴に押し付けても良かったんじゃないのか? いやいや。やっぱり姉貴にこんな相談持ち掛けようもんなら、俺は姉貴にからかわれるに違いない。やっぱり俺で良かったんだ。
 しかし俺はどう足掻いたとしても、ファニィにいいようにこき使われる運命にあるらしい。まあ……それも悪くはないな。波乱万丈な毎日も、それなりに楽しいと思える心の余裕が出てきたって事だろうか。
 コートの頭を優しく撫でてやりながら、俺の意識も次第に安息の沼へと沈んでいった。

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